まさにジャンク 三渋 忍者ブログ
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運命で片付けられるほど、果たしてそれは簡単な問題だったのだろうか。

「三上、」
微風に煽られゆらゆらと揺れる蝋燭の火の向こうで、渋沢が穏やかに口を開いた。一見何の変哲もない離れの座敷には不自然な静寂が満ち満ちている。秋も真っ盛りのこの時期に、虫の声ひとつすら届かないのは不穏な証拠だ。まして雑木林に囲まれているこの場所は言うに及ばず、である。
そしてそれ以上に、床の下、天井裏、それから四方を囲む壁の向こう、剥き出しの殺意がひしめきあっていることに、三上は先刻から気付いていた。それでも穏やかな素振りで酒を啜るのは、その状況はむしろ、予想の範疇でしかなかったからだ。己の生命を危険に晒す大博打を打つほどに、事態は切迫していた。

「元気だったか」
「…少し、痩せたんじゃねえのか」
渋沢のそれには答えず、三上は逆に畳み掛けた。苦笑いを浮かべた渋沢の表情には、確かにたったの半月前までは見られなかった苦労の陰が刻み込まれていた。そしておそらく三上自身にも。
そう、たった半月、だ。
されど半月。どっちつかずだった軍勢が敵に回るには、十分な時間だった。かつて私的な逢瀬を楽しんだこの場所が、政治的駆け引きの場に変わるには、十分すぎる時間。
「まあ、飲め」
一触即発の緊張感の上に向き合いながら、10年来の知己に再会したかのようにお互いを労りあうふりをするのは、まるで空虚でしかなかった。結果的にいえば、互いが望んでいるのは相手の死でしかなかったのだ。微笑を湛える渋沢にまた、微笑で答える三上はしかし、より危ない橋を渡っているのは己で、追い詰められているのも己であることを自覚する。例えば今少しでも不穏な動きを見せれば、戸外に満ちている猛者の殺意が残らず己に向かうだろう。張り巡らされた緊張の糸が、三上をがんじがらめにする。ごくり、と咽喉を震わせて、何時の間にか口内にたまった唾を飲み込んだ。もとより死を恐れているわけではなかった。ただ失敗に終わることを、恐れていたのだ。

一晩、たった一晩、渋沢をこの場に引き止めればいいのだ。

三上は居住まいを正した。それに乗じて懐に忍ばせた短刀の刃がひんやりと素肌にあたり、いやが上にもその存在を三上に知覚させた。その感触は、敵陣に単身乗り込んだ彼に正気を保たせるために残った、唯一の命綱だった。

 

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「…お」

何気なく見下ろした視界の下。つい先日までは薄桃色に染まっていた堀の周りの桜の木々が、いつのまにやらまぶしいほどの新緑に変わっていたことに今初めて気づいて、三上は小さく声をあげた。
「…上様?」
傍に控えていた小姓の渋沢は、急に話の腰を折られて不愉快なのか、なじるような目で三上を見上げた。
「なあ渋沢、もう春も終わりだなあ」
それを楽しむかのように、あえてのんびりした調子で応答しながら、三上は渋沢の袖をひいた。抵抗を知らない体は、三上の導くままに腕の中に引き込まれる。
「上様、お仕事は」
「お仕事?」
おどけたようにおうむ返しにつぶやいてから、ククククッと喉の奥で笑った。
「お前のお仕事は、俺を喜ばせることだろ」
「…、藤代の軍勢が、兵糧をかき集めていると聞きます。もし今東から攻められでもしたら…、ただでさえ手薄な所ゆえ…」
「渋沢」
抑揚のない声に静止され、渋沢ははっとして口をつぐんだ。
見上げた三上の黒い髪の毛を、窓から吹き込んでくる春風がゆるりとなびかせている。
「俺が何もしないでいると思ってんのか」
「…では?」
息を詰めるように先を促す渋沢の瞳をチラリとのぞいてから、三上は密かに拳を握り締めた。
「明朝、東に軍勢を放つ」
「…ご出陣ですか」
「…いや、お前と俺はここに残る」
「…は?」
意外な言葉に、渋沢は思わず絶句する。
「お前は、どこへもやらない、っつってんだよ」
唸るような低い声と共に、窓の外を向いていた目が不意に渋沢を振り返ってギリと睨み付けた。その強い視線に渋沢は、たじろぐ己を叱咤しつつなんとか声を絞り出した。
「…なにを当たり前のことを」
おっしゃいます。不穏な予感が頭をかすめて、渋沢は嫌な汗がつうと背中を伝うのをかんじた。微笑で応じた自分の表情は、果たしてこわばってはいないだろうか。射るような視線をできる限り冷静に見返した。

「…酒」
そらされた視線と、ぶっきらぼうに投げられた言葉。微笑は崩さずに内心胸をなでおろして、渋沢は弾かれたように体を起こした。

 

 


妹と別れたその足で、そのまま寮の食堂に向かった。

開けっぴろげになったままの食堂の扉をくぐると、ちょうど夕食時のそこは文字通りの戦場と化していた。すれ違っていく後輩が挨拶をよこしてくるのを尻目に、三上はわずかに伸び上がって喧騒の向こうに目をこらした。
視線を投げた一番奥の壁側、まるで指定席のようになったその場所に探していた後ろ姿を見つけて、仏頂面の表情がわずかに崩れる。どうしてそうなったかは知らないが、学年が上がるにつれて指定席が手前から奥に移動していくのは、数ある寮生活の暗黙のルールのうちのひとつだった。そうして向き直った体でおぼんを手に取ると、配膳待ちの列に並んだ。

「よう」
向かい側の椅子をひくと、お茶を啜っていた渋沢の目が確かめるように三上を見上げ、けれどそれも一瞬ですぐに落とされた。
「荷物が届いたのか?」
「あ?あー、これ?」
三上は手にしていた紙袋を指差して、そう、といって頷いた。
「妹さん、しっかりしてるなあ」
「あいつが?そんなお戯れを」
茶化すようにおどけてみせると、湯のみを口から離した渋沢が苦笑をかえした。
「この兄にしてあの妹あり、だ」
何か意味深な渋沢の言葉に、三上はトンカツをおもむろに掴もうとしていた箸を止めた。
「何がいいたい」
「別に」
渋沢はつまらなそうに呟くと、皿に残っていたキャベツの残骸を箸でつまんだ。
三上は一瞬口を開きかけて、けれど突如として2人の間に停滞する気まずい空気に気付いて押し黙った。渋沢の箸がキャベツを摘んだり離したりするその光景を暫らく無言で眺めてから、三上は思い出したようにトンカツに箸をつけた。


「そういえば、」
まるで何事もなかったかのように静寂を割ったのは、別に他意があるわけではなかった。思考に浮かんだ事が、自然に舌をすべりおちたというそれだけのことだったのだ。
「妹がお前のことかっこいいっていってたぜ」
キャベツをいじくっていた渋沢の箸が、一瞬停止するのを視界の端で見ながら、三上はトンカツを口に運んだ。
「へえ…、それは。光栄だな」
「おいおい、いいぜ、別にお世辞なんざ言わなくて」
三上は苦笑して肩をすくめた。
「別に…」
「別に?」
口を閉ざすように言いよどんだ渋沢に、眉を寄せて問いただした。今日の渋沢はどこか変だ。

「いや、本当のことだ。憧れられるような人間じゃない」
「まったまた~」
笑いながら渋沢の肩を叩くと、渋沢が苦い顔をあげた。
「考えてもみろ」
「…何をだよ?」


「…昨晩のせいで腰が痛い」
ようやく口を開いた渋沢はけれど三上の問いには答えず、逆に責めるように睨み返した。
前後の脈略がない言葉はしかし、渋沢の言わんとしてることを簡潔に表していた。それを唐突に理解して、三上は箸を握っていた手の力をぬいた。カラン、というか細い音をたてて皿の上に箸が転がる。
「…ああ、悪かったよ。余裕なかったんだって」
そうして分の悪い言い訳のように口の中でブツブツと呟き返した。
「だろうな。ただ、こんな兄を持った妹はどう思うんだろうな、と思っただけだ」
渋沢はそう言うと、先刻までとは打って変わって、わが意を得たりとばかりに笑い返した。


(了)
 

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