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「…しぶさわ?」
神様のイタズラなんてものがあるとしたら、俺は多分、神様を一生恨むと思う。
三上は、携帯電話が手のひらからすべりおちるのを、指先でかろうじて食い止めた。
そうして、考えるのを放棄したがっている思考を無理やり回転させて、次に言うべき言葉を探す。
「・・・理由話して、このファミレスに置いておいてもらうから、後で取りに来い」
なんとか搾り出すように言い切って、そのことに三上はほっとした。
心臓が、ひどい。最近はトレーニングのおかげで大分スタミナがついて、試合にフルで出てもこんなに心臓がバクバクなることなんてないっつうのに。
動揺している。わかってる、俺は明らかに動揺している。だけど、だからなんだっていうんだ?この動揺がおさまる術があるなら、誰か教えてほしい。
もう一生会わないと、泥を吐くような思いで別れた片思いの相手に、偶然、電話で話すことになってしまったこの状況をどうやって切り抜ければいいのですか、と。
「いいな?じゃあ、・・・きるぞ?」
『・・・・・・』
沈黙してしまった電話の向こう側の相手に、けれどこっちも相手のことを思いやってやれる余裕なんてものあるはずない。とりあえず最善の策は、一刻も早く電話を切ることだとそう思って、三上は念を押した後に通話終了のボタンに親指をかけた。
『・・・っ、待て!』
◇◇◇
待ち合わせに、少し路地を入ったところにある薄暗い喫茶店を選んだのは、どこか後ろめたい気分があったからだというのは正しい。
渋沢が喫茶店に入ってきたとき、顔を見るまでもなくそれが渋沢だとわかった。渋沢が店内を見回してこちらに歩いてくるまでの間、三上はずっと、渋沢の顔を見ようとしなかった。
多分、怖かったのだ。
あの頃と何も変わっていない渋沢を見るのは。
あの、最後にさよならを告げた、高校3年生の卒業式のときから。いつまでもあのころの思い出に縛られているのは自分自身なのだと、そう再確認させられるのが怖かった。
何も、変わっていない。
ゆっくりと椅子をひいて、一度ためらうような間を置いてから腰を落とすその癖も。
なにも、かわっていない。
そして、渋沢は最初の一言を、こういうのだろう。
『三上』
「三上」
渋沢が、まるで三上の中の想像の音をなぞる様に反復した。
三上はテーブルの中央に置かれた砂糖を凝視しながら、手の中のグラスを握り締めた。あえて返事を返さなかったわけではない。ちがう、かえせなかったのだ。まるで張り付いてしまったかのように動かない唇を舌で湿らせながら、三上は小さく頷いた。
何もかも、あの頃とはかわっていない。
ただ、時が過ぎただけなのだ。
なにも、かわっていない。俺も、おまえも。
そして、渋沢は次の一言を、こういうのだろう。
『元気そうだな』
「会いたかった」
ほら……
「は?」
思わず上げた視線の向こうに、したり顔で笑う渋沢が、いた。
だけど確かに、ここは藤代がイタリアに渡ってから、初めて帰ってくる日本だった。
足早に空港のゲートをくぐったところで新聞やら雑誌やらの報道陣につかまって、内心ひどくうんざりする。長時間のフライトで体が疲れている上に、聞かれるのは痛いことばかりだ。
調子が悪いのは、俺が一番わかってる。
内心の反論を飲み込みこんで、笑いながら目を逸らした。
その時みつけた見慣れた―――けれど1年ぶりの、―――顔に馬鹿みたいにテンションがあがった。
「ざまあみろ」
振り切るようにしてマスコミから逃げ出してきた俺に、三上先輩は馬鹿にしたような口調で開口一番そういった。例えば涙涙の感動的な再会を、期待していたわけではないけれど。なんかせめてもう少し、あるんじゃない?
ひどく肩透かしを食らった感じがして、思わず絶句した。これじゃあまるで、昨日今日あったばかりのようじゃないか。
「先輩、」
「いくぞ」
言うなりもう背を向けて歩き出した三上に、いい加減むっとした。
「どこへ」
「腹へってんだろ?お前が機内食なんて食うわけねえし」
好きなもんおごってやる、とつなげられて、俺は少しだけ機嫌を直した。
「ほんとに?でも、お金は俺の方が持ってると思うよ?」
「じゃあおごって」
追いついた肩ごしに憎まれ口をたたくと、振り向いた顔に得たり、とばかりに笑われて、急にどうしようもなくなった。
三上先輩が、いる。手の届く場所に。昨日までは、もう一生会えないかもしれないとさえ思っていた。
「おわっ、おまっ、くっつくな!」
慣れた手つきでハンドルを回す三上を横目で見ながら、ようやく息をついた。車は、空港を出て高速道路に滑り込む。夕暮れの近づく空の下、太陽が沈む方向へ向かって車はスピードをあげた。
「…みんな、元気ですか」
話したいことはいっぱいあるはずだったのに、いざ話そうとすれば何もでてこないことにびっくりする。とりあえず、何も考えないで口から出てくる言葉にまかせることにした。
「あ~、うん、ここんとこ忙しいからあんま会ってねえけどな。笠井は元気。同じ大学だし。…ていうか、おまえ俺だけじゃなくて、他の奴らにも連絡とってねえの?」
「…先輩が嫉妬するかと思って」
「ハイハイヨカッタネー」
「先輩、こないかと思った」
何の音もない車内に、一瞬だけ静寂が落ちる。
自分でも勝手すぎると思う。だって、1年間の間、一度も、「来週かえる」という連絡を除いては、メールだってしなかったのだ。
「…、嘘つけ」
前を向いたまま、三上はうんざりした顔で言った。俺はばれないように、口許でこっそり笑う。
「あ~あ、ばれてたか。三上先輩は、絶対くる、と思ってました」
「お前ほんと…くそムカつく。あああああ、そうだ、その顔みたらまず最初に張り倒してやろうと思ってたんだよ!!!」
「ちょ、安全運転安全運転」
ぐん、と自棄になってアクセルを踏んだ三上を、言葉とは裏腹に囃し立てるようにして笑った。
「三上先輩…俺、」
「ストップ。弱音?愚痴?俺はどっちもきかねえぞ」
「なんで!?」
「めんどくせえから」
「……」
「つうか第一、お前もうすぐ調子よくなんじゃん。意味のない愚痴は聞きたくない」
「はあ!?なにそれ三上先輩いつから預言者に?」
「アホ、予言じゃねーよ。お前が今不調なのは身体が原因なんじゃなくて、メンタルだろ。新しい環境とかお前嘘みたいに弱えじゃん。みんなに連絡しようとしなかったのもそれだろ。余裕ありそうに見えて余裕ないのが得意芸じゃねえか」
「え、そうなの!?」
「そうなの、って、えええええ?お前ほんと馬鹿じゃねえの?びっくりするわ!武蔵森んときも最初はぜんぜん調子わるかっただろ」
そして、間を空けるようにしてその後ポツリといったその言葉に、俺は、なぜだろう、ひどく興奮した。
「…連絡、くれなかったのも余裕がなかったせいだろ」
赤いテールランプの続く首都高を眺めながら、俺は湧き上がる衝動を抑えて、静かに言った。
「三上先輩、」
「やだ」
「…最後まで言ってないんですけど」
「やだ」
「先輩、そういうの、ツンデレっていうらしいですよ」
次の瞬間真っ赤になって怒りだす先輩を笑いながら、俺はやっぱりこの人がどうしようもなく好きだ、と思ってしまった。なぜだかそれはちょっとだけ、悔しかった。
複雑に絡まった糸は、例えば賢明にそれを解そうとしたって、大抵の場合途中で断念する。つまることろ、一度からまってしまった糸はよほどの奇跡がない限り、ほぐれることはないのだ。
おそらく、絶望的な勢いで。
いつからこんなことになってしまったのだろうか。
まるで他人事のようにそう考えている自分に辟易する。
少なくともその片棒を担ったのは俺で、そしてその頃俺は何も考えてはいなかった。そのツケが、今になって回ってきている。そういうことなのだ。
だから、この人を憎むことはしたくない。
…キレイ事だな。
「…三上」
「、ッハイ」
はっとした。慌ててエレベーターの壁によりかかる誠一を見上げると、冷笑を返された。そしてその瞬間、ひどい後悔を覚える。この人といる時に上の空なんて、どうかしている。
「他の事考えてる余裕あんの?」
先刻よりワントーン低い声で問われて、三上は内心冷や汗を掻いた。
「すみません、あの、例の会議の件ですよね」
「……」
しまった、と思った。咄嗟に浮かべた愛想笑いを、誠一は見透かしたように視線を外した。
「三上」
「…、はい」
足元に視線を落として、渋面を作る。たとえエレベーターの中であっても、二人きりになる時間を作ってしまったのは俺のミスだ。
チン、という微かな音が響いて、エレベーターがとまる。思わずほっとして顔をあげたけれど、おそらくそれが、今日三上が犯した最大で、そして最悪なミスだった。誠一が降りる、そう思って我知らずほっとしたのもつかの間、次に続く誠一の言葉に瞬間、凍りついた。
「降りろ」
従うしか選択枠のないことが、三上の体には十分に刻み付けられていた。言われるままに、エレベーターを降りる。背後でエレベーターの扉が完全に閉まる音がして、今度こそ三上は泣きそうになった。それでもほとんど無意識に、前を行く誠一の背を追った。
今日は渋沢が外出しているのが幸いだったと、なんとか平静を保とうとしてそんなことを思っている自分がひどく煩わしくて、余計泣き出したくなった。
社長室というプレートのつけられたドアを開くと、小雨の降るせいで白みがかった都心の景色が目の前に広がった。その部屋の主は、不在だった。わかってはいたことだけれど、そっと胸をなでおろす。
誠一は何の躊躇もなく中央に置かれた机の前の、黒い革張りのイスに腰を下ろした。
三上は入り口に立ちすくんだまま暫く葛藤して、けれど誠一の刺す様な視線に押されるようにして近寄った。
慣れた動作で、誠一の足元に膝をつく。
何を要求されているかはわかっていた。彼が何か言葉を発する前にそれをはじめなければ、さらにひどい仕打ちを受けることもわかりきっていた。損得を無意識に計算してしまう自分の頭が今はひどく憎らしい。
動揺を悟られないようにして、ゆっくりと手を伸ばす。
「…失礼、します」
ジッパーを下ろすその前に、許しを請うようにそう呟いた。誠一が、ふっと鼻で笑う気配がした。
「なに、お前そんなに俺のやつ舐めたいの」
手が、一瞬止まった。
屈辱に震える手をなんとか押しとどめて、絞りだすように返事を返した。
「…は…い」
その瞬間、ガンッという音がして、気づけば自分が床に叩きつけられていた。誠一に蹴られたのだと分かったのは、顔の側に絨毯があることと、誠一の足の位置が僅かにずれているのを見たときだ。
「三上」
三上は床に這いつくばったまま、恐る恐る顔をあげた。誠一は、いつもの、仕事の時に見せる有能な秘書の穏やかな微笑みを湛えて、三上を見下ろしていた。
「ふざけないでください」
ぎょっ、とした。
本能的に危険を感じて、三上は後ずさった。
そして三上がありったけの謝罪の言葉を並べるその前に、誠一は顔に張り付かせた笑みを一瞬のうちに消し去った。そして、一転、ひどく不機嫌な声で彼は続けた。
「…俺にばれないとでも思ってんの?おとなしく従ってれば痛い目みないだろう、とかそんな底の浅い計算してんだろ?…あめーよ」
周りの空間にあるもの全てが、さーっと後方に流れていくような感覚を覚えた。蒼白になった顔を、隠しようもなく誠一を見上げる。
「…まあそんなに怯えんなって、今日は可愛がってやるから」
言葉の調子とは裏腹にひどく残虐な笑みを浮かべて、誠一が言った。
覗きこまれた瞳の向こうに、底の知れない絶望を見た気がして三上はその場に凍りついた。
※性描写を含みますので、18歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。
始まりはいつだって違う様で、けれどいつだって同じだ。
青空に白線をもくもくと描いていく遠い飛行機を見上げながら、ぼんやりと思った。たとえば、と考える。
たとえば朝目覚めて、天井の剥がれたペンキを見上げながら三度瞬きをする。しばらくまどろんだ後で、ベッドから転がり落ちるようにして起き上がる。最初に目をやるのは窓、その手前の水槽。朝の光を浴びてきらっきらっと輝きを散らすメダカを無意識に目で追いながら、そこでようやくかけられた「おはよう」の声に言葉にならないうなり声を返す。
それは大抵いつだって同じ。
たとえば日光の入り具合や、同室の人間の声の調子、掛け布団の位置にすこしの違いはあれども。
繰り返されてきた日常を、また無意識に繰り返す。むしろ、それは意図的に。
「三上先輩、俺さあ」
突然思考をわって入ってきた藤代の声に、三上は「ん、」と声だけで答える。
「むかし犬を飼っていたんだ。茶色い毛がほわっとしてて、目がくりんとした雑種なんだけど。可愛かったなあ。ワンワン、て呼ぶと体当たりするみたいに突進してくんの。
―――だからもう、俺、犬飼えないんだよね」
最後に少しだけトーンを落とした藤代の言葉に、
「…なんで」
とたいして興味もなさそうな口調で、三上は口を挟んだ。けれど注意力の八割分くらいは、視線を落とした手元のアイスカップに持ってかれている。てゆうかまさかそれ、ワンワンって名前?スプーンですくったアイスを律儀に口の前で止めてから、そう付け足した。藤代はうん、と頷いてから、なんだか急に可笑しくなってくすりと笑った。
「今気づいたけど、なんかパンダみたいな名前だね」
「そんなん言われなきゃわかんねえよ」
そう言って三上が呆れた顔でアイスを飲み込むのを待ってから、そうかな、と藤代は首をかしげた。
ひどくのどかな秋の昼下がりだった。
昼休みの屋上で、隣に藤代がいるということに違和感がない。まるで、これも繰り返されてきた日常のひとつの証拠だとでも言うように。
「で、なんで飼えねえんだよ」
三上は億劫そうに立ち上がりながら、最後の一口を放り込んだ。アイスはすぐに口内の熱でじわっと溶かされて、どろりとした液体になり喉を滑ってゆく。
「え、だって、どんな犬飼っても多分ワンワンと重ねちゃうから」
そういうのって、何か嫌じゃん?
当たり前のようにさらりと言いながら、よっこらしょ、と声をつけて、藤代も立ち上がる。
「お前って…案外繊細なのな」
思わず振り向いて感心したように発してしまった言葉に、「え?」と不思議そうな声が返ってきて、すぐに「なんでもない」と言い直した。そしてそのままごまかすように出口に向かうと、後ろからついてくる足音も確認せずに階段を駆け下りた。
「あ、兄ちゃん」
じゃあな、と廊下で別れようとしたまさにその時だった。不意に藤代が呼んだ名と、向けた視線の先に写った輪郭がきれいに一致して、三上は内心舌打ちをした。